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ブライアン・ジョーンズのT・シャツ 再び

TOKYO QUADRO MARKETから森川がお送りします。

あとちょっとで17歳になる夏の始め、僕は期末試験の予習にだらだらと追われていた。
世界史の暗記が一向に進まないのは、机の上のトランジスタ・ラジオのせいだ。
トランジスタ・ラジオからはアメリカの、そしてイギリスのヒットナンバーがぞくぞくと届けられていた。
ロックはまだ若く、しなやかで力強く、目が覚める程カラフルだった。
それはまさに洋々と大海原に出帆して行く、見た事の無いテクノロジー満載の船だ。

ローリング・ストーンズのストリート・ファイティング・マンがオン・エアされた後、
DJが神妙な声で「ブライアン・ジョーンズ」の訃報を告げた。
「え!?」一瞬、その意味が理解出来なかった。
つい1ヶ月前、ブライアンはストーンズを脱退していた。
そのショックの余韻が冷めやらずにいた矢先の事だ。
20代の人間が死んだりするんだろうか?

僕らと10歳くらいしか変わらない、
20代の若者が死ぬと言う現実をうまく受け止められなかった。
まして、僕らは若者と言うカテゴリーにすら到達していない、まだ世間的には少年と言うレッテルを貼られていた時期だ。

「K君から電話よ」と言う母親の声が、
呆然と蛍光灯を眺めている僕を呼び戻した。
Kもその報せをラジオで知ったのだ。

期末試験の予習を放り出し、
母親にはKの家で一緒に予習をすると言って家を抜け出した。

僕らは駅前のスナック「ルミエール」に集合した。
僕らの溜まり場。
今思えば、スナックと書かれたプレートがまさに昭和の、つまり1960年代の日本そのものだ。
CやY、Fもいた。
僕らが未成年である事は明白だったが、ルミエールのマスターは喫煙も飲酒も黙認していた。

僕らはどこからか調達して来た百目蠟燭に灯をともし揺らめく炎じっと眺めていた。
マスターに頼んでKが持参した「ベガーズ・バンケット」をフルボリュームで流した。

僕らが初めてロック追悼集会(自分たちで開催したのだが)に参加したのがこの時だった。

あれから46年。
ロックは黄昏れ、どこか疲弊し、あの鮮やかさは色あせている。
それはこの先、果たしてどこへ流されて行くのか、
置いてけぼりのテクノロジーに頼り、あても無く海図を失い漂う、まるで朽ちかけた船のようだ。

あの遠い夏の日を時々ぼんやり思い出す。
まるで瞬時のように人生は過ぎ去る。
とうに還暦を過ぎた僕はブライアン・ジョーンズのT シャツを自分の店で取り扱っている。
(これは多分、世界で唯一のブライアン・ジョーンズ公式 T シャツだ。)
あの時代を懐かしむように僕はそのT-シャツ達に囲まれている。

このたび、新たなヴァージョンが加わった。
プリント画像の中のブライアンは嘲笑うかのように僕に語りかける。「オレは永遠に老いる事無いぜ」

ブライアンジョーンズ


2015-04-27 | Posted in Blog | Comments Closed